誰も知らない琉球史

琉球大航海時代の終焉

琉球の大航海時代は1390年頃より始まり、1570年には終焉を迎えます。

 

その180年間の大航海時代を終わらせた要素は、大きく分けて2点ありました。

 

第一には、スペイン・ポルトガルといった西洋の新興勢力の登場でした。

 

15世紀の終わり頃から始まったヨーロッパ勢の貿易船は、
その後50年で東南アジアまで到達し、砲艦外交でそれらの都市を制圧したのです。

 

小国で武力において、ヨーロッパ勢に敵わない琉球船は、
次第に東南アジア貿易圏を縮小せざるを得ませんでした。

 

第二には、明王朝の海禁政策の緩みがあります。

 

それまで、中国人が外に出て商売をする事は明王朝によって厳格に規制されていました。

 

その為に中国人商人の不在の空白の隙を突いて
琉球商人が東南アジア貿易を一手に握る事ができたのです。

 

しかし、明王朝の規制が緩み、中国人が自由に貿易できるようになると
琉球の貿易ターミナルセンターとしての価値は色あせたのです。

 

中国商人は、自ら船を漕ぎだし、
日本とも東南アジアとも貿易を繰り広げるようになり、琉球の出番は急速に縮小します。

 

1570年に、シャムに出た琉球船が歴代法案に残る最後の東南アジア交易船でした。

 

こうして、琉球は、中国貿易のみに専念するようになり、次の時代へと移行していくのです。
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明から最大の譲歩を引き出した馬と硫黄

中国の冊封体制の中において、琉球王国の地位は、何番目に位置していたのでしょうか?

 

それは、北京で行われた新年の儀礼の中に見る事が出来ます。

 

この儀礼では、皇帝を中心に皇帝に近い順位に、
周辺国の席が割り当てられていましたが、琉球の席は朝鮮に次2番目でした。

 

これは、つまり、「琉球は世界で一番偉い、皇帝の2番目の子分であるぞ」
という事を明皇帝が公認していたという証拠なのです。

 

そこで、疑問が生じます、どうして琉球は小国にも関わらず、
ここまで明王朝に優遇されていたのでしょうか?

 

それは、琉球の特産物に由来していました。

 

実は当時の琉球は、馬と硫黄の生産地だったのです。

 

明王朝は、琉球に対し、「貢物は馬と硫黄にするように」と
注文をつけてまで、馬と硫黄を欲しがりました。

 

それは、どうしてか?というと、当時の明は、
まだモンゴルと国境周辺で戦争状態が継続していたからです。

 

実は、馬の産地は中国の北方で、その地域はモンゴルの領地であり、
明は軍馬を手にいれるのに苦心していたのです。

 

また、硫黄は、
当時の戦争の主力になりつつあった飛び道具である火砲の原材料である火薬の主原料でした。

 

この硫黄も中国国内では取れなかったのです。

 

明王朝は、この馬と硫黄を琉球から入手する為に、
琉球を褒めておだて、ヘソを曲げないようにする必要がありました。

 

琉球もまた、そのような明王朝の足元を見透かし、有利な待遇をとことん利用したのです。